自分で選ぶ、選択を問う

 小学生クラス「学び塾」では活動の一つとして野外活動の計画作りをしています。

 いざ始めてみると、時間、どこでするのか、準備物は何かが記されない姿が出てきました。別の場面では、おやつの片付けでお盆の上の茶碗を乗せたとたんに遊び始める姿もありました。子ども自身の考えている自分の範囲・事柄の全体は、こうも明確に現れてきます。

 普段は学校や家庭でも大人が計画・下調べ・調整・手配などをすることは多いと思いますが、孫三では広い範囲に目を向けることを大切にしているので、子どもにも全体を視野に入れて計画することを求めています。全体とは活動や事柄それ自体にとどまらず、今生きていることそのものであり、実現していないこと希望やあこがれも含めてのものであるはずです。

 いま、子どもはそこで衝突に出会い始めています。複数のものを扱い始めたことは大きな進展です。と同時に、なぜ「始めている」なのかというと、衝突が見えた直後に大人に決定を求めることが多いからです。そのときに「どっちでもいい」ようなことなら元から取り組む意義はないのでしょう。もしあきらめが支配しているのだとすればそれは恐ろしいことです。

  決めかねる、選びかねるからこそ新しい価値に出会える学びが貴重になるのです。

(文責:藤原新)



  

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このページは、mago3が2009年10月 1日 15:52に書いたブログ記事です。

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