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-孫三の紹介(2012.02.05)
-現在の活動構成(2009.12.01)
-孫三の起こりと理念
-新しい世界へ踏み出す勇気 本屋禎子(2007.10.12)
-Quality of life 本屋禎子(2007.8.20)

-本屋禎子随想(河北新報掲載)

-本屋禎子 2012年12月1日能「融」公演挨拶←最新

-本屋禎子「大災害の中で」(金春月報2011年11月号掲載)←最新

-本屋禎子「金春安明金春流80世宗家による『浦嶋』の復曲」(金春月報2012年8月号掲載)
-金春安明師「浦島太郎を題材にした番外曲」(金春月報2012年9月号巻頭言)

-本屋禎子「千賀の塩竈は今ー宗家の仙台公演に寄せて」(金春月報2012年11月号掲載)←最新

-本屋禎子「金春安明金春流八〇世宗家による謡本『小萩』の復曲」(金春月報2013年2月号掲載)←最新


孫三の紹介(2012.02.05)

こちらをクリック(PDF)→

現在の活動構成(2009.12.01)



 2009年12月現在は、
まごさん共同保育室での親子を対象としたクラス保育や幼児教育に関心がある・学んでいる中学高校生や学生へのクラス、 学び塾での小学生を対象としたクラス、 大人を対象とした四講座(教育講座、哲学講座、短歌俳句連句講座、謡講座)、 全世代を対象とした毎月一回日曜日の日曜総合クラスを定期的に行っています。
 能楽の学び・能楽をきっかけに日本の文化歴史を学ぶ体験型の学びと教育実践研究活動とが結びついた「学びの集い」を年に四回ほど実施しています。


孫三の起こりと理念

<社会の抱える教育の問題>

 価値観が多様化していくように見える社会の中で、実はそれぞれが個別化し部分特化しているのが現状ではないでしょうか。世代間が断絶し公教育と社会教育の分離はどんどんひろがり、こうした問題に対してとられる画一的・部分的な対処法では地域社会の教育力・生活文化の継承力をむしろ弱めるばかりです。
 地域の中での子育てには、親・祖父母世代の教育への関わりを見直す必要があるのです。また、それと同時に教師の再教育・自己研鑽を求めた教育研究が重要です。
 地域の一員としての子どもの教育に、子どもの実態を知るまわりの大人の参加と併せて、教師自身が子どもを捉える目を向上させていく事が大切です。
 子どもたちの持つ可能性は子どもの論理を認め、考えの幅を保証する環境で育まれていきます。家庭、地域の教育を担う私たちの子どもへの関わりを見直す事が地域の教育力を見直す第一歩だと私たちは考えます。

<孫まで三代私の学び>
 私たち「孫まで三代私の学び」(以下孫三)の前身は、本団体の主宰である宮城教育大学本屋禎子名誉教授・現大阪女子短期大学教授の40数年に渡る「数学教育実践研究会」です。幼稚園、小学校の現場で教育実践を行う教師たちが、総合的に学ぶ事を大切にした実践研究を行ってきました。各教科の面・生活の面で個別に区切られやすい子どもへの視点を、子どもの持つ論理や認識という視点から総合し、子どもの実態を見つめ働きかけるという事を大切にして取り組んできました。ここでは子どもを捉えるための教師自身の学びがとても重要です。 孫三はこの研究会のメンバーによって立ち上げられた生涯教育活動です。
 教育・学習を古典の知・地域社会における生活文化と結び、そこから生活の今を見つめ豊かにする学びを実現する教育の創造に取り組む活動です。



新しい世界へ踏み出す勇気


                      本屋禎子
 教育においては、子どもが自分で考え判断することから始めなければならないが、知識の習得が重視される。子どもは知らないのだから教え込めばよい訳だ。また教育によって今の自分の限界を打ち破り新しい世界に踏み出さなければ自分が変わらないのだから、教育は自己否定から始まると言ってもよい。今の自分の力では次に進むことができないから新しい知識や方法が必要になるのだ。その自覚があるからこそ求め探し今自分に出来ないことに挑戦し、それが難しいことであっても本人が必要であると思えば様々な試行錯誤を経て自分の手に入れる。生まれてからこのかたこのようにして私たちは多くのことを学んできた。
 教育可能性の根拠はどこにあるのか。それは子どもが否定を考えることが出来る点にある。乳児に対して行う「いないいないばー」では母親は赤ちゃんの見ている前で何か(例えばハンカチ)の陰に隠れる。最初に隠れた時は赤ちゃんは母親が見えなくなり不安に思う。その次の時「ばー」と言って母親が顔を出す。ほっとする。次に母親がいないいないばーと言ってハンカチの陰に隠れる と、赤ちゃんは今度は母親はハンカチの陰に隠れて見えないが、ハンカチの陰にいるはずだという仮説を持つ。仮説を持って待っているところへばーと言って母親が顔を出す。予測があたり、仮説が実証されたことが嬉しく笑顔になる。自分で考え予測が的中したことが嬉しいのだ。ここで子どもは見えるものだけではなく、見えないものを考えることが出来たのだ。子どもは隠れていることを予測できる力があり、否定を考えることができたともいえる。
 大人のなかには子どもに正しいことを教えることが教育だと信じて疑わない人がいる。正しいことを教えることは教育として間違いではないが、それだけでは不十分である。子どもは正しいことを受け入れただけではわかったといえないのだ。正しいことがわかるためには正しくないことが分からなければならない。正しくないことはひとつの正しいことに対して一つとは限らない。
 今の自分の意志に自信を持ち新しい世界に勇気を持って踏み出そう。そのことが身近な自分についての教育なのだ。        2007.10.12



Quality of life (生活の質)

                      本屋禎子
 日本の昔話の浦島太郎は1300年前から語り継がれてきた。20世紀初頭にアインシュタインが相対性理論によって科学的根拠を発見する遥か昔から人々は直感的に正しさを信じて後生にこの物語を伝えようとしてきたのである。その時代の第1線の科学者ばかりではなく、多くの人々がこれを守ってきたといえる。これこそが教育の力である。伝え継いでいくべきことは科学的に正しいことばかりではなく、未知のものへ意志を持ち続けることも継いでゆかなければならない。
 2007年6月にIPSI 仙台で演じた能「草紙洗小町」(能の部分をアレンジしたもの)では剽窃を咎めはするが最終的には和歌の発展のためにそれを許す姿が描かれている。伝え継いでいく際に過ちを正しながら進むことによって、和歌に対する意志や意欲を高めようとするのである。
 教育において教師は教える内容を伝えるばかりではなく、教育を受ける側の意志、意欲を育てなければ単なる伝達になってしまう。教育を受ける側の意志、意欲を育てるには、学習者が自分の課題を追求し、生活の質を上げることから出発しなければならない。
 2005年に学習者が自分の課題を追求し、生活の質を上げることを目的として「孫3」を設立した。乳幼児から高齢者までの生涯教育組織である。
 現在の孫三は3つの分科会と3つのクラスを持つ。謡仕舞(能)では能を学ぶ。能は700年前から伝わる伝統的日本文化であり、世界無形文化財に指定されている。古典を学ぶものであるが、丸暗記ではなく、昔の人が何を伝えたかったかその意志を探り、歴史的社会的背景を調べながら現代に生きる意味を問うのである。
 よさこい分科会では地域民俗文化に学ぶ。よさこい踊りの時に身につける衣装についても日本の伝統的着物の構造を学び自分たちでアレンジして作り、踊りの振り付けや曲作りにも挑戦した。身の回りの地域に関心を持ち、身近な地域民俗文化を通して社会的経済的政治的生活の中の自分の生き方を考える。各自の意志が地域社会を動かしていることを見る場である。
 劇分科会では現実生活を見つめ、虚と実を往来する柔軟な思考を養い、自由で創造的な取り組みを仲間とともに行う自己実現の場である。  年齢別の3クラスは次の特徴を持つ。
 子どもクラスでは異年齢集団のなかで、遊びや様々な活動を通して自ら学ぶ。
 大人クラスは広い年齢幅の人を対象に大人の学びを掘り起こす。
 子ども大人合同クラスでは分科会や活動を共にすることに加えて、子どもクラスにおける子どもの認識を大人が知る活動も行う。
 すべての学習者について、実態調査、働きかけ、確認調査をワンセットとして分析し、自ら考え判断し行動する力を養う教育を追求している。
 これらの各分科会やクラスの指導計画やまとめは公開のweb上で示している。スタッフはwebを通じて議論や問題に対する認識を共有している。

 教育にとってのコンピュータの役割は極めて大きい。人類は文字を持つことにより多くの知識を蓄えることができた。これは1次元の知識である。絵や絵画の表す多くの情報は2次元情報といえる。コンピュータの知らせる情報は3次元情報であり、われわれはこの恩恵に浴している。しかしいうまでもなく本や様々な文献を読むことができるのもその人の意志による。
 また学びに際しては最先端、第一級のものから学ばなければならない。その際に、例えば謡仕舞分科会では第一級専門家の映像の動画から学ぶことができる。一昔前は限られた人しか実演を観ることは出来なかった。また能についての説明も動画を用いることで多くの情報を短時間で伝えることができる。しかしどんなにモデルが一流でも自らが実際に行動してみなければ学びは進まない。
教育を受ける側の意志を捉える構造が必要なのだ。それが学習者の認識実態から出発するワンセット(実態、働きかけ、確認)の構造である。
 われわれは人々の生活の質の向上を目指し、各自の認識実態から出発した働きかけとその結果を働きかけとの関係で捉えるという教育目標を持ち、成果の蓄積と公開、検討過程の吟味にwebやコンピュータを用い、専任のスタッフをそろえてこの新しい教育に挑戦する。ここにわれわれの船は進み出した。
                  2007.8.20