孫まで三代私の学び          先頭ページ      孫三とは      孫三の歩み      予定表      English 
会員ページ入会案内

震災関連の記録

子ども研究
能と孫三
      長春能楽ワークショップ
学びの集い

日曜総合クラス
未就学児クラス
小学生クラス
      孫三学び塾
大人クラス
      教育講座    教育思想史
      短歌俳句連句    謡曲

国際交流
      IPSI共催研究会
よさこいと伝統文化
則武保育園床板保存

・2009年9月 則武保育園ゆかりの皆さんが仙台へ

●私たちは何を残すべきなのか
 

●72年の歴史を持つ保育園の床板
 2007年3月25日 仙台数学教育実践研究会の席上、名古屋から参加の黒宮和子さんから、社会福祉法人に経営を移管することになった市立保育園の歴史についてのプレゼンテーションと、取り壊しの反対運動の紹介がありました。名古屋駅近くにもかかわらず空襲を免れ、その後も大切に使われてきた園舎です。中でもホールの床板は木材としても、園で育った多くの子ども園を支えてきた大人たちの思いの継承を象徴するもとのしても、お金で換えることのできない非常に貴重なものです。
 地域の方、園児の父母の方々、園長先生、職員の皆さんの惜しむ気持ちは、反対運動(園児自体の存続と建物の保存)が起こったことにも現れています。しかし、取り壊しが決められています。
 3月31日に、仙台孫三から本屋禎子先生、太田直道先生、太田律穂さん、菊地由紀子、黒澤若菜、藤原新が名古屋で合流し、園舎を実際に見せていただきました。
  
  
  
 
 孫三では、歴史に学ぶこと、古典を学ぶこと、「稽古」を大切にしています。それは、先人が未来に投げた思いを受け止めることでもあります。単なる懐古趣味ではありません。
 床板の材質については、「カシ」「クワ」など多様に伝えられていたそうですが、太田先生が床板の裏側に「ぶな」と書かれていることを発見しました。もし、ただ取り壊されてしまったら何という木だったのかもわからないままに廃棄されていたことでしょう。創建当代の人々はまさか建物がただのゴミとして捨て去られるとはゆめゆめ思わなかったはずです。しかし今のままでは5月の半ばには取り壊される予定です。
 古いものを大切にしようとは言っても、それが失われてしまうことをやむ無しと考えることの方が多いのではないでしょうか。ですが、何とかこれを次代に活かしていけないものでしょうか。

●則武保育園の床板を仙台に運びました(2007.6.23-24)
 6月23、24日(土、日)に、名古屋市立則武保育園の床板保存のための床板はがし作業を行い、仙台に運び終えました。この企画は、3月下旬に行われた本屋禎子先生の退官記念行事の時に端を発します。黒宮さんが勤務なさっている則武保育園が民営化に伴い廃園となって園舎が取り壊されてしまうことになり、このままでは戦争をのりこえてきた古く貴重な財産が処分されてしまうという危機に対して、本屋先生が、是非床板を孫三で引き受けて生かしたい、と強くおっしゃったのです。そして3月31日には則武保育園に下見に行き、床板を外すことが可能かどうかを確かめました。黒宮さんは「素早い行動に驚いた」とおっしゃっていました。そしてその後、江上園長先生と黒宮さんが事前に名古屋市との交渉や父母の会の了承を得てくださり、また本屋先生と太田直道先生が名古屋市との交渉と技術的な指導と監督をしてくださり、実現することができました。譲り受けた床板は、孫三事務所の床材として、そしていつか能舞台の床として生かしていきたいと考えています。
 この二日間、則武保育園の江上園長先生、黒宮和子さんご夫妻、則武保育園の先生方とゆかりのある方々、本屋禎子先生の名古屋時代の教え子の方々、と大勢の方々のお手伝いをいただき、予定よりも早く作業を済ませることができました。差し入れもたくさんいただき、作業の疲れが大いに癒されました。孫三からは、本屋禎子先生、太田直道先生、藤原新、佐々木徹雄、黒澤若菜が作業を行いました。
 この作業は1000枚近くある床板を一枚一枚に、再構築するための番号札付けをしてはがし、ついている釘を抜いていき、それを結束してトラックに積むという大変な作業でした。江上先生が「最初は間に合うのかと思ったけれども、どんどんスピードアップしていった」とおっしゃっていました。それは貴重な休日にもかかわらずこの作業にあたってくださった方々がこんなにもいらしたからだと思います。皆様の思いを大切にしていきたいです。

 特に、江上先生と黒宮さんがあたってくださった名古屋市との交渉では大変なことがいろいろあったと思います。そんななかでも意見を通す方法を模索して床板保存を実現してくださいました。そして当日、則武保育園に対する愛着の深さを皆様の言葉から感じることができました。
江上先生「このまま保存したかったけど、年代的にも中途半端らしくて駄目だった。そんなときにこの話があった。もったいないと言って見に来た人はいるけれども行動に移した人はいなかった」
元先生の服部佳子さん「都会の中の別世界で、面接の時にここに来たいと思った。昭和5年築の家に住んでいるので愛着がある」
大学時代に則武保育園にお世話になったという福井かつらこさん「床の下からガラス瓶に入った液体を何個も見つけた。これが何なのか大学で調べてもらう。古いものが大好きで、この園にお世話になったので最後まで見届けたいと思った。」

 また、則武保育園の元先生方や本屋先生の名古屋時代の教え子の方々の作業の仕方、お互いの関わり方は、これからの孫三にとってお手本になると思いました。明るく効率的で、思ったことや気づいたことをごく普通にさらっと指摘し、それをスッと受け止める関係。元先生の服部和加子さんは「温かくて本音で語り合えた」と、前田美奈子さんも「先生方が温かくて支えてもらった」とおっしゃっています。孫三のスタッフ同士の関係もそうありたいと思いました。

 名古屋を後にして、6月25日の早朝に仙台に着きました。朝早く、菊地由紀子さん、史朗さんが加わって荷物を下ろしていただきました。床板を含めたすべての荷物は、前回の荷物共々、太田先生のお宅に置かせていただいています。現在孫三事務所にスペースがないため、ご好意に甘えさせていただいていますが、早く自分たちの力でなんとかできるようにしていきたいです。

黒宮さんから、3月31日に則武保育園で仕舞を舞ったことをモチーフにした絵本の原案をいただきました。

 
 
 
 
 



●則武保育園の床板を孫三事務所に張りました 8月10日-8月15日
 3月に黒宮和子さんから知らされた名古屋則武保育園の廃園と建物の解体のお話に孫三メンバーが共鳴し、3月末の下見、本屋先生・太田先生・江上先生・黒宮さん・保護者の方々と名古屋市との交渉、6月の床板取り外しと運搬を経て、今回孫三事務所に床板を張ることが出来ました。
 1.太田先生のお宅に置かせて頂いた床板の搬出と今回使用しない分の保存と湿気対策(近未来の孫三園・舞台で使用します)
 2.床板を固定するための根太(桟のような物)の設置、根太の間に発泡スチロールを断熱材と基礎の安定のために設置(こちらの部材は事務所のお隣で立体幾何の模型作りをされている方から寄贈して頂きました)
 3.床板の掃除
 4.床板敷設
 5.仕上げと網戸の設置
という工程で進みました。
 床板を隙間無く張るためには床板の掃除が必要で、とても力と根気のいる作業でした。作業者の意地と床板の意地(悲喜交々を炭化させた生の歴史)とで、削ぎ落としに使ったマイナスドライバの角が丸くなってしまうほどでした。また、水平や垂直を求めていく中での反りや曲がりとの格闘がありました。
 しかしこういった格闘は工夫という知恵で乗り切ることが出来るし、作業の仕方がどんどん効率的になっていくことがはっきりわかりました。「繰り返し」による学習の効果ということを主張する人も多くいますが、取り組みの中で次の作業他で進行している作業との関係を考えてゆかなければいくら繰り返しても効率化はないのだと思います。また、考えを持続するための中長期の目標、体力もとても重要です。励まし・助力・お食事の差し入れなどでスタッフ一同大変力づけられました。大家さんご家族、お隣の模型職人の菊地さん、太田久美子さん、太田律穂さん、どうもありがとうございます。太田直道先生には技術面で大変お世話になりました。本屋禎子先生には全体が滑らかに進むようご配慮頂き支柱となって頂きました。
 どの場面での誰一人欠けても為し得なかったプロジェクトでした。

   
     
   
   
   
   
お問合わせ    孫まで三代私の学び    info@mago3manabi.org
                    仙台市青葉区愛子東6丁目3−27    TEL 022-395-9192    (地図)